01. 大城立裕文庫
沖縄県立図書館は、大城立裕文庫として、県出身初の芥川賞作家
大城は、1943年沖縄県費派遣生として、上海の東亜同文書院大学予科に入学しましたが、敗戦で大学が閉鎖になり中途退学しました。その後、1947年琉球列島米穀生産土地開拓庁に就職。野嵩高校の国語教師を経て、琉球政府通商産業局通商課長、琉球政府沖縄史料編集所長、日本復帰後も県職員として勤務し、沖縄県立博物館長を最後に1986年に定年退職しました。
作家活動としては、1947年沖縄民政府文化部の脚本懸賞に「
大城は、2000年に個人所蔵資料を沖縄県公文書館に一時寄託し、有志らとともに「沖縄近代文学館」の設立を沖縄県に要望しました。しかし、実現は叶わず、後にこれらの資料は当館に寄贈され、保存・活用に向けて整理作業が進められ、2010年2月17日に「大城立裕文庫」が設置されました。当館百周年記念プレ事業として開催された「大城立裕文庫開設展」は大変好評を得ました。
文庫資料は、彼が執筆した小説・シナリオ原稿、創作ノートやメモ類のほか、沖縄芝居や組踊など芸能関係のチラシ、リーフレット類、ポスター、さらに戦後沖縄で刊行された雑誌など、貴重な資料群が散逸することなく網羅的に収集され、魅力的な文庫となっています。また、これらの文庫資料について、大城は「残した資料が戦後の沖縄の真実を知る一端になれば」と語っていました。今後、戦後の沖縄文学を牽引してきた大城立裕の研究が期待されます。
02. 大城立裕の海外県系人居住地調査
大城立裕は、沖縄県史料編集所長として、1973(昭和48)年と1978(昭和53)年の二度にわたり、海外の県人居住地を訪問し、移民関係資料の収集を行いました。これまで、琉球政府幹部などの海外視察はありましたが、資料収集目的の渡航は初めてでした。沖縄県は第二次世界大戦前から日本有数の「移民県」として知られていましたが、文献資料の乏しさから、当時はまだ移民に関する研究はあまり多くありませんでした。
国名 | 1973年 | 1978年 | ||
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文献資料 | 音声資料 | 文献資料 | 音声資料 | |
アメリカ(ハワイ含) | 100 | 5 | 6 | 5 |
アルゼンチン | 3 | 42 | 17 | |
ブラジル | 5 | 3 | 11 | |
ボリビア | 6 | 13 | 7 | |
ペルー | 2 | 22 | 10 | |
計 | 100 | 21 | 86 | 50 |
1973年調査
1973年3月30日から4月25日までの約4週間にかけて、ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・ペルー・ロサンゼルス・ハワイの県人コミュニティーを訪問し、100点以上の移民関係資料を収集しました。また帰国後においても、多数の文献資料が現地から寄贈されました。
この年の調査は、屋良朝苗知事や平良幸市県議会議長らと同じ旅程で、現地での行動は別でしたが、調査時間は限られました。それでも大城は、現地の研究者らと懇談会を開催するなど、精力的に資料収集を行いました。その収集した資料は、1974年に『沖縄県史 第7巻各論編6移民』の発刊として結実しました。現在に至るまで、県史の「移民編」を単独で刊行している都道府県は少なく、本県における移民の重要性を示唆しています。
1978年調査
二回目の調査は、平良幸市知事の特命を受け、1978年4月26日から6月29日まで、ハワイ・サモア・タヒチ・アルゼンチン・ブラジル・ボリビア・ペルー・ワシントン・ロサンゼルス・ハワイを周る65日間の旅程でした。
今回は、移民一世へ直接インタビューし、体験記録を残すという面接調査(音声記録)に力を入れました。また、文献資料については、現地社会への同化、教育、文化活動等も視野に入れ収集を行いました。
この調査で大城は、ブラジルを訪問し、5月18日に第一回笠戸丸移民の大城カメにインタビューを行いました。後日、カメのライフストーリーをモデルとして、小説『ノロエステ鉄道』を書きあげました。「ストーリーはかなり彼女の人生に沿っているが、勝ち組については、フィクションである」と大城は述べています。
大城カメのインタビュー
インタビュー聞き手: 大城 立裕
録音日: 1978年5月18日
録音場所: ブラジル・カンポグランデ市内
言語: 日本語、島くとぅば
録音時間: 4分34秒
編集:沖縄県立図書館 ※全編(約75分)は沖縄県立図書館内で視聴可能。
要約:大城カメは、1908年に初めて日本からブラジルへ移民した笠戸丸移民の1人です。カメは、移民前の様子、プランテーション労働、鉄道工事、戦時体験など、ブラジル移民一世としての生活や経験を語っています。
03. 『ノロエステ鉄道』作品紹介
小説は、ブラジル移民70周年を記念する式典に際し、「皇太子殿下から御褒美」をもらうよう勧められ、二度辞退しながら、三度目でようやくもらうことを決意した老女の気持ちの変化を描いています。物語は、老女が自身と夫の生涯を語る形式で進行していきます。 老女は、沖縄出身の第一回ブラジル移民で、移民前の郷里の様子、移民した動機、笠戸丸への乗船、最初の契約耕地、ノロエステ鉄道工夫、カンポグランデへの定住、戦後の混乱など、歴史的な側面に触れると同時に、沖縄固有の政治・思想・文化・伝統・社会・自然などの様々な要素が盛り込まれています。さらに「徴兵忌避と勝ち組」「アカバナー(沖縄)とサクラ(日本)」「一世と二世」という3つの相対するテーマを軸に語られています。 この小説は、ある沖縄出身笠戸丸移民の生涯でありながら、ブラジルの沖縄移民、ひいては、海外へ雄飛した多くの沖縄移民一世たちが直面した物心双方の苦闘を、文学として描いている稀有な作品です。また、100年以上連綿とつながる世界のウチナーンチュを理解するヒントを読者に与えてくれます。
単行本収録作品
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「ノロエステ鉄道」
- 『文學界』1985年2月号
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「南米ざくら」
- 『文學界』1987年2月号
ボリビア移民の困窮を聞き、1963年に移民した息子を15年後に連れ戻しにきた父親の視点を通して定住の意味が見つめられています。
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「はるかな地上絵」
- 『文學界』1988年8月号
ペルーでナシカラーという場所を探してほしいとユタから依頼された新聞記者が、沖縄出身の老人や地元の人と話を交わすうちに、やがて空からしか見ることができない広大なナスカの地上絵に導かれていき、ナスカにナシカラーとの接点を見出そうとします。
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「ジュキアの霧」
- 『文學界』1985年7月号
「勝ち組」として行動した男の祖国への忠誠、一世と二世の思想的軋轢などが描かれています。
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「パドリーノに花束を」
- 『文學界』1989年7月号
1982 年に起こったマルビナス(フォークランド)紛争をきっかけに、日本とアルゼンチンの二つの祖国を持つ日系一世、日系二世の微妙な立場が描かれています。
『文芸的書評集』より一部引用